日本の習俗vol.1旅
今日から「日本に根付く民俗、習俗」について連載開始。
各地で行われる「祭り」や古くから伝わる「信仰儀式」など
とにかく自分が勉強しながら、ここに書くので適当ともいえる(笑)。
霊魂そのものの捉え方も、民族によって違いおもしろいなあと感じる今日この頃。
第一回は「旅」について。
広辞苑によれば「旅」とは
「住む土地を離れて、一時他の土地に行くこと」となっている。
昔は、「旅」は自宅を離れ食物の施しを受けながら野宿をして流浪するものだったわけだが、ラッキーなことに親切な人のもてなしを受けて、泊めてもらうこともあった。
こうしたこともあり、「タビ」の語源は「タマウ(給う)」の命令形「給へ」
が変化したものだとか、また他人の家の火で調理された食物の施しを受けることを意味する「他火」からきているという説を柳田国男は書いている。
日本の民俗宗教の歴史に見られる「旅」を大きく分類すると
1.神々の旅
2.修行の旅
3.参詣の旅
4.巡礼、遍路
5.文人墨客の旅
と分けられるであろう、次回はこの5つを例を出して見ていくとします。
前回は過去の「旅」の分類をしたところで終わった。
1.神々の旅
2.修行の旅
3.参詣の旅
4.巡礼、遍路
5.文人墨客の旅
ではひとつひとつ見て行こう。
1.神々の旅
*アマテラスの遊幸と鎮座の神話、神武東征神話、さらに日本武尊の旅。
神々が諸国巡礼によって、人々を救済する話は庶民の間で広く信じられている。
この救済は、時代を経るとお偉いさんが各地を回って庶民を助けるという
水戸黄門などの話にも影響していると考えられている。
*少し詳しくアマテラスの遊幸・鎮座を説明する。
「日本書紀」によれば、崇人天皇6年、宮中に祀られていた天照大神がトヨスキイリヒメノミコトに
託いて大和の三輪山の麓に比定される笠縫村に祀られていた。
その後垂仁天皇25年、今度はヤマトノヒメノミコトに託いた。
そこでミコトは天照大神の鎮座すべき地を求めて、兎田のキハタに詣り、さらに近江から
美濃を巡って、伊勢に入り五十鈴川のほとりに斎宮を建てて祀ったとされている。
巫女さんが自己に憑依した神霊の命に従って、鎮座地を求め遍歴するという話。
2.修行の旅
奈良時代、大和の吉野や紀伊の熊野には山林修行者が訪れていた。
平安時代、山林修行を旨とする修験道が成立。
また霊山で回峰の修行をした修行者は呪験力の優れているとされ
各地を遍歴して加持祈祷や呪法を行い、村人も神のように迎えた。
そしてこの遊行宗教者が民族宗教の展開に大きく寄与したと考えられている。
3.参詣の旅
平安中期、宗教者以外の者が吉野や熊野の社寺に参詣に訪れるようになる。御岳詣や熊野詣など。
ちなみに近代の私鉄は伊勢崎詣の近鉄、高野山詣の南海、成田詣の京成、
高野山詣の京王というようにほとんどが社寺詣の人を対象にした。
4.巡礼、遍路
近畿地方の33の観音霊場をまわる西国巡礼と
弘法大師の生地である四国の大師ゆかりの霊山をまわる四国遍路。
5.文人墨客の旅
美しい風景や伝説の地は「歌枕」として和歌に詠み込まれ、人々の旅情を誘う。
その中で、自ら地方を行脚して「歌枕」の地を訪れる風潮が生み出された。
最初の人は//能因(998~1050)//であり、その後は
西行、芭蕉、浅井了意、十返舎一九など多数。
ここでは各詣や旅を詳しく見ることはせず、次回は「現代の旅」とのつながりを見て行きます。
今回は、この5項目を現代の旅に置き換えて見ていこうと思う。
1、神々の旅
2、修行の旅
3、参詣の旅
4、巡礼・遍路
5、文人墨客の旅
<現代への置き換え>
1、これはもう言わずもがな、現人神であられる陛下の行幸でわかる。
さらに過去における神様が旅先で正直者の貧者を助ける逸話は、神ではないが
水戸黄門などのヒーロー伝説の高視聴率もこれに見られるかもしれない。
2、山や海の観光道路はかつての修行道同様、尾根伝いの道から
海、湖、川が望見されるように出来ているのだ。
3と4
かつて社寺参詣、登拝、巡礼は成人式として行われていて
旅を終えると一人前と認めてもらえた。
近代以降は、学校教育がかつての成人式の期間にあたっており
その際に昔は親が子供を旅に出させていた成人式を学校が行うことになり
締め括りとして修学旅行が企画されるようになった。だから伊勢、京都、奈良
東京(皇居)を中心に日光や箱根などの見学に行った。
これは日本文化にふれさせる重要な儀式のつながりであったといえる。
5、かつて歌枕に惹かれ旅をした文人墨客達、現代も変わらず
書物や写真を見て惹かれ旅行に出る。
昔人はその場で詩を詠んだり、絵を描いたりして歌枕に出てきた
この景色を情緒的に表していく、現代は写真を撮ったり、
日記にしたためたりして風習は引き継いでいるといえる。
こう見ると、以外に伝統的な習俗は様々な形で残っており、面白い。
少しずれるが、昔は熊野では熊野詣をする檀那を受け入れて、
宿・山案内・祈祷をする御師が成立、その後各地の社寺も
同様のスタイルをとったようだ。
現在の旅行会社が行っている添乗員が旅行者を引き連れ、案内をするスタイル
これの原型はもしかしたら熊野詣からきているかもしれないと指摘する学者もいる。
これはかなりユニークで面白い考え方だ、根拠もあり納得できる。
わかりやすく図式化すると
添乗員=先達 団体客=檀那 → 観光地へ → 提携旅館=御師
ガイドが観光案内=熊野の堂衆が山内案内
次回からは、日本人の「たましいと癒し」について長期掲載
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